学園紹介
School introduction
理事長挨拶
明治39年(1906年)、創立者佐藤タ子が新しい時代に生きる近代女性にふさわしい「女性の自主・自立」と、男女平等の考えの下での「婦徳の涵養」「良妻賢母」を教育の柱として、私立裁縫女学校を開学してから、明治・大正・昭和・平成・令和と五つの時代にわたり、群馬県高崎の地で本年まで百十数年の歴史を繋いでまいりました。
現在では、高崎商科大学(商学部/経営学科・会計学科)・高崎商科大学大学院(商学研究科)・高崎商科大学短期大学部(現代ビジネス学科)・高崎商科大学附属高等学校(普通科・総合ビジネス科)・高崎商科大学佐藤幼稚園を擁する総合学園へと発展してまいりました。
今後も地域と大学、大学と高等学校、高等学校と幼稚園の連携をより強化し、実学を重視した教育と人間性を育てる指導により、日本人としての自覚をもつと同時に道徳観や正義感・倫理観、更にしっかりした職業観・勤労観を備えた、Society 5.0社会に出て活躍できる人間の育成を目指します。
このホームページが単なる学園の広報的な役割に止まらず、学園の経営状況等を開示掲載することにより、ホームページを通して学園を取り巻くステークホルダー(利害関係者)の皆様に対しましてのアカウンタビリティー(説明責任)を果たせるように努力してまいります。
新しい百年に向けて更に発展・充実に努め、地域に信頼され期待され続ける学園づくりに邁進いたします。
学校法人高崎商科大学
理事長・学園長 森本 淳
2021年1月
創立者
創立者である佐藤夕子は、旧中仙道の坂本宿、現在の群馬県碓氷郡松井田町大字坂本で明治8年(1875年)3月7日に誕生いたしました。夕子の育った坂本は、かつては大小の旅館が立ち並ぶ宿場町で、たいへんにぎやかな町並みであったようです。
夕子は6人兄弟の末子で、常に兄達の勉強する姿を見ていて、門前の小僧のたとえのように就学年齢に達しないうちから「論語」「女大学」などをすでに読解できたといわれています。
この頃の学校制度は、試験によって進級することができたので、学校へ1年間登校して2年生の教科課程を終了してしまう児童もあったようで、夕子はまさにその児童の部類に入っていました。進級につぐ進級で試験にパスして4年間くらいで卒業した為、学校の在学年数は短く、世間からは神童と称されていたと伝えられています。
学校卒業後も、兄達の勉強を見習い寸暇を惜しんでよく学び、家事についても母親をよく助けたといわれています。その後、成人した夕子は縁あって長野県南佐久郡臼田町の井出家に嫁ぎました。時は明治29年、嫁ぎ先の井出家は「大槌屋」と号して南佐久地方きっての豪商でしたが、長男が誕生し、幸せなはずの新婚生活は思うにまかせず苦悩する日々が続いたようです。
かねてから女性の社会的な自立についての思いを深めていた夕子は、遂に離婚を決意して故郷に帰ることとなり、とりあえず自活の方法として細野尋常高等小学校臨時教員として就職しました。その後、東京本郷の東京裁縫女学校(現在の東京家政大学)の速成科に入学したのは明治33年11月でした。入学後は試験に連続して合格し、僅か半年にして卒業。さらに、速成科の卒業では至難といわれていた中等教育検定試験(裁縫科)にも合格し、独立自活の初志の第一歩を踏み出すことになりました。
明治34年、静岡県見付町の裁縫伝習所講師を経て、同県三島町田方郡立高等女学校に2年余り在職。その後、故郷の群馬県で女子教育に尽くしたいという熱意に燃え、明治39年4月高崎市柳川町2番地の民家を借りて私立裁縫女学校を創設し、校長として教育を始めました。夕子31歳の時でした。
女性の自立、社会的地位の向上には実学を通しての教育が必要だとの考えから裁縫の実技修得に全力を注ぎ、生徒数も年ごとに増加。明治44年には、師範科卒業生に対しては無試験で小学校専科正教員の免許状が与えられるほどの信用を確立し、地元に定着いたしました。昭和18年(1943年)財団法人佐藤学園を設立。校名を佐藤高等技芸女学校と改称し、校舎を高崎市大橋町に移転しました。さらに、昭和23年(1948年)学校教育法により高等学校となり、校名を佐藤技芸高等学校に改称。昭和26年(1951年)、財団法人から学校法人に組織を変更し、校長は孫の井出温に譲り、名誉校長兼理事長に就任いたしました。昭和28年5月13日には教育功労者として文部大臣より表彰されましたが、同年11月22日、介抱のかいなく78歳の生涯を閉じました。
学園のあゆみ
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明治
39年 4月
私立裁縫女学校(本科、専修科、研究科)創立。(創立者:佐藤夕子)40年 4月
私立佐藤裁縫女学校に改称。43年 4月
私立佐藤裁縫女学校に師範科設置。 -
昭和
11年 1月
学園創立30周年記念式典を挙行。(会場::高崎市公会堂)18年 4月
財団法人に組織変更、校名を佐藤高等技芸女学校に改称。23年 4月
佐藤技芸高等学校に改称、家庭科設置。25年 2月
高崎技芸高等学校に改称26年 3月
学校法人に組織変更。(学校法人佐藤学園)30年 10月
学園創立50周年記念式典を挙行。(会場::高等学校講堂)36年 4月
商業科設置。36年 6月
佐藤学園高等学校に改称。37年 4月
普通科設置。41年 11月
学園創立60周年記念式典を挙行。(会場::群馬音楽センター)43年 4月
佐藤学園高等学校附属幼稚園を設置。52年 2月
学園創立70周年記念式典を挙行。(会場::群馬音楽センター)61年 11月
学園創立80周年記念式典を挙行。(会場::群馬音楽センター)62年 12月
学校法人高崎佐藤学園に改称。63年 6月
高崎商科短期大学開学記念式典を挙行。(会場::高崎商科短期大学大講堂)63年 4月
高崎商科短期大学開学。(商学科)
高崎商科短期大学附属高等学校に改称。
高崎商科短期大学附属佐藤幼稚園に改称。 -
平成
3年 4月
高崎商科短期大学附属高等学校商業科を情報システム科並びに情報経理科に科転換。5年 4月
高崎商科短期大学に秘書科を設置。8年 4月
高崎商科短期大学附属高等学校情報システム科を国際情報科に名称変更。10年 6月
高崎商科短期大学創立10周年記念式典を挙行。(会場:高崎商科短期大学体育館)13年 4月
高崎商科大学開学。(流通情報学部 流通情報学科)
高崎商科大学短期大学部に改称。秘書科を現代ビジネス学科に名称変更。14年 4月
高崎商科大学附属高等学校普通科特別進学コースに男子入学。14年 4月
高崎商科大学流通情報部に教職課程高等学校教諭1種(公民・商業・情報)開設。15年 4月
高崎商科大学附属高等学校国際情報科に男子入学。17年 4月
高崎商科大学附属高等学校普通科進学コースに男子入学。18年 4月
高崎商科高崎商科大学大学院流通システム研究科流通システム専攻修士課程 開設。
高崎商科大学流通情報学部に教職課程中学校教諭1種(社会)開設。18年 11月
第1回ホームカミングデイを開催。(会場:ホテルメトロポリタン高崎)
学園創立100周年記念式典を挙行。(会場::群馬音楽センター)19年 4月
高崎商科大学大学院流通システム研究科に教職課程高等学校教諭専修(商業)開設20年 8月
学校法人高崎商科大学に改称。21年 4月
高崎商科大学短期大学部現代ビジネス学科入学定員を100名から120名に変更。22年 4月
高崎商科大学流通情報学部流通情報学科を商学部商学科に名称変更23年 4月
高崎商科大学大学院流通システム研究科を商学研究科に名称変更。
高崎商科大学附属高等学校に総合ビジネス科を設置。
高崎商科大学附属高等学校国際情報科を募集停止。
高崎商科大学附属高等学校情報経理科を募集停止。26年 3月
高崎商科大学附属高等学校国際情報科、 情報経理科を廃止。29年 4月
高崎商科大学商学部に経営学科(130 名)及び会計学科(70 名)を設置。
高崎商科大学商学部商学科を募集停止。
高崎商科大学商学部経営学科及び会計学科に教職課程高等学校教諭1種(商業)開設。
高崎商科大学佐藤幼稚園を「施設型給付」を受ける幼稚園へ移行。31年 4月
高崎商科大学佐藤幼稚園を「認定こども園」へ移行。